2018年08月22日
お盆
お盆休みも早くも終わり、
松庄は今まで通りのお仕事の日々に戻りました。
ここ10年間で初めて『無計画旅行』がない年になりました。
もし、行っていたなら
高速の混み具合で右に曲がる場合は北陸か、
左に曲がる場合は北九州に行きたかったかな・・・
今年は、奥田父さんの初盆でした。
嫁いで1年半におばあちゃんが亡くなった時、
親戚のおばさんから
「来年の夏は予定入れたらあかんで」と、教えてもらった。
お盆の1週間でその意味を知りることになる
私は、指導を受けるままに初盆を参ってくださるお客様に冷たいお茶と冷えたおしぼりをお出しした。
一日中、きれいに洗ったおしぼりを折りたたんでクルクル巻いて冷蔵庫に入れていた記憶しかない。
信楽は、8月12日~15日にお葬式でもないのに喪服を着た人たちが主に軽トラで あちこち行き来する。
初盆のおうちは、その前々日か前日に祭壇の準備をします。
『施餓鬼参り』(せがきまいり)
奥田お父さんの初盆は親族のみで執り行わせていただきましたが
暑い中、お立ち寄りいただきました方々には心よりお礼申し上げます。
8月15日は夜9時以降に祭壇のてっぺんに飾っているほこらを持って、中にロウソクを灯して
喪主が持ち、その前を提灯を持った人、次に鉦吾鐘(しょうごかね)に紐をつけて手でぶら下げながら
カンカン カンカン鳴らして歩く人。
提灯と鉦吾鐘を小さな子供たちが担当していると何だか古き良き信楽を知るのです☆
で、後ろから親族縁者が列をなしてお寺に向かうのであります。
夜10時(昔は零時)に初盆を迎えたほこらが勢ぞろいし、お経を唱えてもらい、
喪主が抱きかかえ燃やしてもらう。
真っ暗な空に火の粉が舞い上がる風景は少し寂しい気になりました。
「奥田お父さん、また来年やな」と言うと
「おうっ!!」と、威勢よく返事してくれている気になります。
次の日、16日の午後からは死んだように眠りました
2018年08月09日
お昼寝
この夏の猛暑に気合が足りない出来損ない女将です。
先日のお昼、テレビを観てると
熱中症の症状が取り上げられていた。
「あたしやん!!」
先週初めから、頭ガンガン、吐き気、ムカムカと
一歩一歩 歩くのがだるくてだるくて仕方ない
これ、悪化する前に病院行っとかなあかんやつ?
てっきり、日にち薬だと・・・
仕事師さん気張ってくれてるのに涼しい点滴2時間
だけど気づいたことがある。
事務所より、工場のほうが風が抜けるのよ
奥田父さん!!工場建てる時 設計士さんと話し合ったのかな??
やってくれるぜ奥田父さん
お昼ご飯済ませて横になっていると、愛犬・梅三が横に来る。
彼、鼻の先に自分の毛をつけて、寝息をたてるたびに毛を一本ピ~ピ~鼻息でなびかせている。
癒してくれるぜっ!梅ちゃんよ~~~
11日の平和堂わんわんデイ(ペットフード2割引き)には、大好きな『ほねっこ』こうちゃるさけーな♡←信楽弁
さっ また頑張ろ。
とは、言いながらも信楽の夜は都会に比べると少し涼しいかも。
従姉が言っていた。
今年は神戸では蚊を見かけないらしい。
35℃以上になると、ボウフラは蚊にかえれないみたいで、今年の夏は刺されていないとのこと。
殺人的な暑さなんや
皆様もくれぐれも熱中症対策気を付けてください。
診察・採血・点滴・お薬(頭痛薬)で約4,000円也。
クーラーつけるほうが賢いな
そうそう、クーラーって言って「昭和やな~」と、同級生に言われた
今時、エアコンっていうらしい
いいんです。
「テレビのチャンネル回して。」やら、
「ミシンふむ。」やら ← ミシンは「かける」らしい。
いいんです
クーラーかけながら、ミシン踏んで、テレビのチャンネル回してこの夏を乗り切りますっっ
2018年07月20日
外の空気はい~よね~
面倒だけど いちいちかがんで荷物を持ち
立ち上がって・・・
久々の配達
一ヶ月ぶり
なんやろ?いつもの景色が輝いてる
307号線沿いより中に入ると
信楽ってこんなと・こ・ろ
キレイでしょ~~~
いい感じでしょ~~~
友人が来たときは、敢えて田舎臭い感じの道を走ります。
今日は、走っては軽トラを止めて2回写真を撮った。
もう一枚の素朴すぎてすんばらしい写真は次回に・・・
学生さんは今日の午後から夏休みに突入する。
松庄は8月11日~8月16日までがお盆休みですが、同じ敷地内で奥田父さんの初盆を
身内だけで執り行うので
shiroiro-ieに足を運んでくださってもopenすることができます。
(タイミング悪く留守の時は申し訳ございません)
今日もめっぽう暑く、夜も熱帯夜だろうけど、外に出てリフレッシュしたし、体も疲れてぐっすり寝れるかも
あと、この場をお借りいたしまして・・・
私なんかの体の心配をしてくださって、お声掛けいただきました
「無理せんときぃ。私運ぶわ!」とか、「良くなったか?手術はなるべくせんときや」とか感謝
妊婦の時に腰を痛めて、強制送還で実家に送られたことなど、自分の体験を赤裸々に話してくれた、
ぎっくり大先輩。
そう呼ばせてください!!!ぎっくり大先輩!!!
陶器屋女将さんあるあるでしたm(__)m
2018年07月18日
焼き屋の塩分
先日友人に「塩なめながら仕事するん?」と
問われた。
そうそう、奥田お父さんに聞いたことがある。
昔は、ところどころに塩を盛っていて確かになめながら
仕事をしていたそうだ。
今は、写真の通り
塩分チャージなんていう優れものもある。
こう、暑いと気休め程度ですが
信楽内にあるドラッグストア2軒をハシゴして、いろいろな味のものを買いました
蝉も元気に鳴いている。
夏は始まったばかり・・・
2018年07月16日
あっつ~~~
仕事に出る前、愛犬 梅三と戯れていると
眩しいの!暑いのって!
マジでおめめを隠している梅三(笑)
彼、毛皮をまとっているので ゼ~ゼ~です。
肉脂をまとっている私もゼ~ゼ~です
昨日は、ほんの少しのお塩でゴロゴロした冷えたキュウリを
梅三にあげると口当たりがよかったのか
喜んでいるようだった。
先日は、豆腐におじゃこを和えて鰹節を振りかけてあげたらペロリと食べた。
で、毎回次の日 私は梅三のウ〇チをチェック。
どうやらお腹は壊していないよう。
人間も 大量に冷えたものを口にすると調子崩しますもんね
海の日の今日、暑くとも2基の窯に火が入っています。
仕事師さん神!!おーきに!おーきに!
焼き屋に夏到来。
皆さん、倒れないでおくれよ(T_T)
すでに、ぎっくり腰で足を引っ張ておりますが・・・
私の実家は、冷凍食品屋さんでして。
業務用冷凍庫は部屋ほどの大きさがあるのですが、もちろんどれもマイナスの世界で。
エスキモーのようなジャンバーと帽子と手袋と、長靴(すべて業務用)を履いて中に入っていくと鼻の中が
ピキピキピキ~と凍り付いていくのがわかります。
さぞかし涼しくて夏はえーやろー!と思ってしまうのですが
冷凍庫の中のマイナス17℃程の冷たさと、外に出た時の暑さの差が大きすぎてキツい。
実は冬のほうが良いのです。
その時も、やはり皆が体壊さないか心配だったな
で、自分の心配が全くできてないもんだから人に迷惑をかけている女将です
2018年07月13日
色々ありました
奥田お父さんの百箇日も無事終えて、
仏壇のところにはお骨がなくなりました。
3月から、ホントにいろいろありましたね。
地震もあったし、西日本では水害もあり
そして、そして、私のぎっくり腰
私の祖父が他界したとき和尚さんが
「亡くなったお方は早く歳を召します」とお話しくださった。
来月、初盆だ。
奥田お父さんのお通夜とお葬式に、実家から両親が駆けつけてくれた。
親父は現在も仕事に顔を出すので葬儀が終わってすぐに大阪へ。
その時、懇切にしている友人のお父様が大阪まで帰るのに一番便利な駅まで送ってくださった
駅に着く少し前に親父が友人のお父様に
「ずっと香代のことを心配してました。でも、皆さんから信楽の水を飲ませていただいて
一人前の信楽の人間にさせていただくことができました。ありがとうございます。安心して帰れます。」
と、言ったらしい。
友人のお父様は泣いたそうだ。
友人からその話を聞いたとき、笑って聞いていたけど 今も打ち込みながら目と鼻から水が流れ出てくる。
ちっとも成長なんてしていない私。
孝行せなあかんな。
と、思っていたら6月18日に大きな地震!!
私の実家の寝屋川もなかなか大きな地震で、テレビの速報で観ていたら大変なことになっていた。
慌てて電話すると、少しパニックになった母だったけど無事を確認できた。
「すぐに片づけ手伝いに行くわ!!」と、叫びたかったけど、
まさかまさか その日にぎっくり腰になっていた私
横たわりながら受話器片手に「すぐには行かれへんけど、気を付けて片づけてな」
と、だけ言い残して電話を切った。
その後も私のぎっくり腰を心配してくれていたようだ。
そう、安心させると思い残すことがなくなるし、少々心配してもらって
いつまでも死なれへんと、頑張って元気でいてもらおう。
(写真は今日のshiroiro-ieお風呂場の窓)
2018年04月09日
若い嫁
黒の長襦袢の仕付け糸をほどいた。
以 前、病院では若い嫁だと思われていた。
奥田お父さんの旅立ちの際は、暖かなメッセージを頂戴していたにもかかわらず お返事もせずに
申し訳ありませんでした。
汚い顔をしながら、ひとつひとつありがたく読ませていただきました。
大津市民病院や滋賀医大の少し離れた病院は私とペアで行くことがあり
看護師さんからは奥田お父さんの若い嫁だと思われていた
お父さんは「兄の嫁さんやで」と、ニタニタ笑いながら看護師さんに説明していたけど
「ほんとですか~~~」と看護師さんは
疑いのまなざし1億%で私を見ていた。
そんなことされたら否定する気もなくなり、私もニタニタ笑って黙っていた。
若い嫁でも何とでも思ってくれ(笑)と。
もう、「香代はん」と呼んでもらえないのが寂しい。
3月14日 奥田お父さんから携帯に電話があったとき、もっと根気よく話せばよかった。
甲賀市内で近いのに、もっとお見舞いに行くべきだったなど今では後悔ばかりです。
3月6日病院転院の日、その日からお世話になる病院に着いたとき、奥田お母さんと皆でコーヒーを飲んだ。
奥田お父さんは唇を濡らす程度だったけど小さい声で「うまいな。」って言っていた。
今、その声が思い出されています。
奥田お母さんにお願いして、朝のコーヒーのお供えは私がさせてもらっています。
郵便局で某窯元のおかみさんに出会い、お互いの義理父の話をして涙した。
某ローレライ夫人は、可愛がってくれた義理父を思い出して10年たった今も涙していた。
(↑名前ゆーてるやん)
実の娘さんが二人いる奥田お父さん。
その娘さんたちと同じようにかわいがってくれた。
病院に顔を出すたびに「香代はん、大阪のお父さんと お母さんは元気か?」と、聞いてくれた。
以前、「娘たちを信楽の外によう嫁がせへんかった。香代はんの両親は信楽に娘やって心配やと思うわ」と
自分に置き換えて心配してくれる奥田お父さんが私は大好きや。
ある日は「もんざえもん元気か?」と心配してくれた。
(↑我が家の愛犬・梅三の名前を もんざえもんと言っているのです。)
喧嘩っ早いが涙にもろい。そんな人でした。